セブジーの雑な映画感想

セブジーの映画への思考、料理を吐露する無法地帯

「アナと雪の女王」をみて

・ネタバレありです。お気をつけて。って、結構見られてるから言わなくてもいいか?

 

アナと雪の女王

”FROZEN“

 

監督
クリス・バック
ジェニファー・リー


脚本
ジェニファー・リー

 

原案
クリス・バックジェニファー・リー
シェーン・モリス


原作
ハンス・クリスチャン・アンデルセン
雪の女王


製作
ピーター・デル・ヴェッチョ


製作総指揮
ジョン・ラセター

 

音楽
クリストフ・ベック


主な出演者

アナ
→クリスティン・ベル

エルサ
イディナ・メンゼル

クリストフ
→ジョナサン・グロフ

 

 

 

キングダムハーツIII」で「ありのままで」のシーンの再現度がすんごい、という声がツイッター上に見られた。そのまんまあの雪山シーンを映画と同じように再現したという訳でなく、視点を変えて撮っていたりとキンハーならではの演出があって唸った。

(キングダムハーツって、道端の敵を着実に倒していかないとレベルが上がらなくて後で苦しむのをドロップディスタンスで知りました。黒いフードをかぶったやつを倒しきれず途中で脱落し、今のところプレイしたキングダムハーツはそれだけです。でもやっぱり宇多田さん含めて音楽がとっても好きです。)

 

今回取り上げるのは続編も決まったアナと雪の女王です。松たか子さんと神田沙也加さん、もしくはイディナ=メンゼルの歌唱が頭に残っている人も多い。僕は生まれてはじめてが好きです。リプライバージョンもまたいい。でもやはりありのままで、が主として捉えられているように見える。そうなると、冒頭30分にしてクライマックスがあるようにも思えるが、最後にどんでん返しがある。視聴者からすれば、ディズニー作品となれば必ずヒロインもしくはヒーローが勝つ、という前提のもと見に行く。これまでのディズニー作品の主なイメージからすれば、ヒーローがヒロインを救う構造が視聴者自身によって当てはめられていたが、この作品でそれを一気にぶち壊す。

女は男が救うもの、男は女が救うもの、そういう旧態然とした性差別のイメージがこの映画によって自分の中に息づいていることを知る。そもそも子供が愛を知るのは家族であったり、仲間だったりするのだ。恋の快感、今までにないもの、の中に愛を見るからその時始めて愛を知ったと感じるのだろうが、赤ん坊の時にもらうのは家族なり、笑顔でかわいい、と言ってくれるような道端のおばあちゃんなどの愛である。

 

“Frozen”がこの映画の原題である。エルサの雪の魔法のこと、その魔法を操れず心が閉じこもってしまうその様、そしてアナが凍ってしまうことなどなど色々な意味を含む原題と捉えている。アナと雪の女王という題名はそれでいいと思うのだが、日本語で原題のもつ意味の幅広さを表現するのは難しい。アナが、彼女に他人行儀を貫く実の姉が一人で作り上げた”雪の女王”像と対峙する、という印象を見出すことはできるが、やはり”Frozen”の言葉がこの映画の根本を支えているのではないか。

(でもアナの名前は出してエルサの名前を出さないのは何故!?かわいそうじゃん、エルサ!ポスターだと上の方でデッカく存在感放ってるのにぃ!)

 

エルサはありのままで、と雪山で堂々と宣言した割にアナが訪ねてくると怯えて、こっち来るな、とのたまう。本当に、“ありのまま”になって割り切ったのなら、妹に対してもさらっと受け流してさよなら妹よ永遠に、と言える筈だ。本来なら王位を投げ打ったのだから、責任を取ってアレンデールへ帰り、申し訳ないが女王にはなれない、失望させてすまない。と言付けしてひとりの雪山の王国を築けばいい。果たすべき任務から逃げたことになるが、自分に正直であるという点でありのままである。しかしそうはできない。エルサの心には良心が未だ宿っているからだ。何も縛られないわと、歌った割に。エルサが苦しんでいるのは物語中一貫して自らの魔法で他人を傷つけることを恐れることから来る。その延長線上にあの雪山での叫びがあるのだが、割り切れていない。雪山の城を築き上げてもなお、自分から逃げているのだ。極端な例だが、学校や会社をサボったのだが、なんか罪悪感があって、遅れても行くべきか迷い、でもなんとなく別にそれでいいやとなって“ありのままで”を歌い、笑っていいともを見ながら一日遊ぶも、明日が迫り来るともっと焦る、みたいなことだ。

(何?具体的すぎるって?そうだよ、実体験だよ!!!悪いか!)

 

未だ知れぬ魔法で他人を傷つけるまい。それは彼女の愛である。だれかのためを思うという点で。この物語で悪なのは、あのわけのわからないチクタク権力大好きアホではない。幼少期に魔法の恐ろしさを説いたあのトロールである。魔法についてよく知っているという点で称えるべきではあるが、幼少のエルサにトラウマを植え込むような教え方をしたのだ。善意の悪といえる。あんな真っ赤なイメージを見せるのは全然子供のことをわかっていない。....などといってしまうのだが、人のことを知らぬ間に傷つけてしまう可能性が誰にもあるということに気づく。善意のつもりで、人生を左右させてしまうようなことをしてしまう。そしてそれに教えた本人が気づかない。恐ろしすぎる。身をきちんと立てねば、と強く刻む。

(メリーポピンズがいたら、魔法の使い方はすぐに身につくはず。魔法なんて、本当は二の次!そうしたらもうアナとエルサはずっと仲良しだったよ!なんなら、ディズニーのプリンセスは全員シュガーラッシュ2みたいにすぐ勇敢になっちゃうよ。白雪姫も下克上は一日で終わる!....メリーポピンズがそれを許さないか?ってかそもそも話が展開しなくなるな。)

 

エルサを囲うのは常に善意だった。両親もエルサの魔法をどうすればいいのか分からず城を閉じてエルサをひとりにするしかなかった。アナだって、ずっと雪だるま作ろうとドアを叩き続けた。国民だって、エルサのことを悪く言わないし、そもそも彼女の状況を知らない。でもそうするたびにエルサの心は凍ってゆく。なぜなら、時間が経つにつれ周りからの“期待”に答えられない自分が浮き彫りになり、その自分になるために、解決しなければならない魔法も操れそうになく絶望が切り立つ。エルサの完璧主義、つまり他人の期待に答えねば、という考えが1人の部屋で養われたのが分かる。完璧主義は即ち自分否定主義である。自分のなすこと全てに納得が行かず、他人の理解も得られない。何をしても自分からも他人からも否定されるように感じる。そうするたびに理想は遠のき、自分を責める。他人に見せられる姿は何一つなく、孤独になる他なくなる。彼女もその周りもそうする他もうどうしようもなかった、と言うしかないのが悔しい。ただ、トロールだけはもう少し方法を変えて指導する、またし続けるべきだった。ひとりになりたいのに、その呟きが重くて言葉が詰まる。

1人がいいという人は多いだろうし、僕もそうだ。内向的といえばいいだろうか。エルサの姿を見て、どこか自分を重ねてしまった。いてほしいんだけどアナにはちょっと距離を置いてほしいな、と思ってしまう側の人間だ。エルサを現代で例えるなら、極端だが、「ひきこもり」だ。彼らもそうせざる得ない理由と、周りの人間もそうせざるえない理由をもつ。外から見れば、何で就労しないの、何で引きこもるの?とばかり問い詰めて、逃げてるし何もしないから楽でしょ?と考えて彼らが凍りついているの知らない。引き出すことが最優先と善意を持つことで彼らが心をもち、また傷ついた過去があるのを無視する。逃げもまた、戦いなのである。エルサも1人でずっと戦っていた。

アナも家族もエルサと同じように閉じこもっていた。エルサの魔法が大衆に暴かれて更にエルサが傷つくのを避けた。家族同士辛さを分け合おうとしたのだ。この映画で描かれる“家族の愛”はもう冒頭でも描かれている。

 

凍ったエルサの愛、氷に覆われたアナの愛、奇しくも海に沈んでしまった両親の愛。エルサが凍った水の上でアナを抱擁した時、全ての愛が実る。エルサの魔法の正体が暴かれる。誰かのために使うのに生まれた魔法だということ。ラストの”愛“、という言葉に納得する。エルサは姉として優しさをもって、もう幼い時から、アナを雪で遊ばせていた。幼い時から、エルサは何ひとつ間違っていなかった。引きこもって、そのあと雪山にこもるまでも。

僕はラストでもありのままで、を歌うべきだと思います。エルサが自分に正直になったのは、ラストである。キャスト全員で歌うと説得力も強い。その役割を果たすのがスタッフロールの歌なのだろう。

 

アナと雪の女王は、男女間における意味での愛、という愛の凍りつけられたイメージやディズニー作品そのものに対するイメージを見事にぶち破り、家族愛や同性間・異性間の、新しくも原点に立ち返った愛のイメージを鮮やかに描いた作品だ。こりゃ、大ヒットしないわけがない。ああ、もう一度見たい。

 

余談です。

メリーポピンズもそうですが、ディズニー映画の難しいところは、ミュージカルである故に、歌に乗った歌詞や丁寧に描かれた人間描写を、歌のリズムに乗りすぎてすっ飛ばしてしまうことです。ディズニーにはやはり楽しいことを第一に求めるから複雑になってしまう。何度も見なければわからないものはわからないが、今回は音楽が特に強すぎて何回みても分かりづらい。生まれてはじめてありのままで雪だるまを作らねばならないから....

あ、クリストフとオラフのことあんまり書かなかったな。オラフって、気づいたんですが、エルサがありのままでを歌った時に作られたんですね!エルサの娘じゃん。次期国王じゃん。ワオ。クリストフはいいやつだけど、ソリのシーンしか記憶にないや...ごめんよ、でもアメリカの担当俳優はドラマgleeに出た人で、当時自分の中でぞわぞわした記憶があります。

ちなみに、冒頭で流れるナーナーナーエンヤーヤーって曲、好きです。

 

長文をご一読くださりありがとうございました!では今日だけはさようなら!